僕は、伊藤洋一のRound Up World NowというPodcastを聞いている。
マクロな経済の話や政治の話なんかはわりと納得できるような話が多いなぁ、と思って楽しんで聞いているが、個別企業についてなどのミクロなコメント、特にテクノロジー企業についてのコメントはどうも的はずれなことを自信満々言っていることが多い。
さきほど1月12日放送分を聞いたが、今回はかなりひどかったように思う。
今回の放送で、伊藤氏はiPhoneについて熱く語っていて、以下の2点が革命的な点だと言っている。
まず1点目の、Appleが統合対象とする製品を携帯電話やテレビにまでのばし始めたという点。これは、iPhoneの革命的な点ではなく、そもそもここで議論すべき内容かどうかも微妙ではある。それは置いておいたとしても、統合対象を広げていることが革命的なのであれば、SONYやMicrosoftはどうなるのだ?松下は?彼らはかなりの製品ラインナップをそろえているが、革命的なデバイスを出しているとは思われていない。
僕が思うに、(革命的かどうかはわからないが)重要なのは統合対象を増やしていることではなく、はじめて統合が受け入れられつつあることだろう。
僕はソニーエリクソンの携帯を持っているが、パーソナルデータを持ち歩くことも音楽を持ち歩くことも難しい…同期しつづけるとなると、ほとんど不可能だ。
WindowsMobile携帯では、OutlookやMediaPlayerのデータをストレスなく持ち歩けるだろうか?少しはマシだろうが、挿すだけで自動的にシンクはしないし、日常的に同期するとなるとやはり面倒が多い。
そもそも、僕にとってはWindowsMediaPlayerやSonicStage、ConnectPlayerでデータを管理すること自体がストレスフルだ。音楽配信サービスを利用する場合も、クライアントソフトウェアとうまく統合されたものはない。
反面、AppleにはiTunesという使いやすいデータ管理・同期用ソフトウェアが存在する。そして何より重要なのは、iTunesとiPod、iTunesStoreがお互いの存在を前提に開発されていることだ。iPodとはiTunesが管理するデータをそのまま外に持ち出せるデバイスであり、これを実現するためにiTunesも最大限の配慮をしている。また、音楽・動画配信サービスであるiTunesStoreもiTunesからの利用を前提に作られている。コンテンツ配信サービス⇔クライアントソフトウェア⇔ポータブルデバイスが可能な限り統合されているわけだ。これとまったく同じ状況が、今度はアドレスやブックマーク、予定などのパーソナルデータにももたらされるのだ。さらに、AppleTVではiTunesが管理するデータを大画面化がすすむテレビでも利用できるようになる。
結局、MicrosoftやSONYとAppleの違いは何なのか?これはもう、ずいぶん前から言い古されてきたことだが、それは決して伊藤氏が主張しているように「ソフトウェア中心だから」ではない。
ソフトウェア中心かハードウェア中心かという議論では、(SteveJobsもMacWorldのキーノート中でアラン・ケイの言葉を引用しつつ語っているが)重要なのはソフトウェア中心なことではなく、(今のところは)ソフトウェアとハードウェアの緊密な統合による圧倒的な利便性の提供だ。
統合のための手段として、密接な統合ではなく標準化を選んだ場合、多用なデバイスをサポートできる代わりに利便性が失われることになる。少なくとも初期は。時間が経てば標準化がサポートする範囲も広がり、標準化戦略が逆転する時期はくるだろうが、Microsoftはその時期を読み違えた。これは、WindowsがPCメーカーや周辺機器メーカーを巻き込んだエコシステムを構築し、競争によるハード価格下落とバリエーションの豊富さゆえにMacを蹴散らして大成功したという体験が頭の片隅から離れなかったせいだろう。
唯一例外的に成功しているのは、ゲーム機でありメディアサーバでもあるXBoxとビデオ配信サービスでもあるXBoxLive、テレビとの連携だ。これらは、サービス・ハードウェア・ソフトウェアのすべてをMicrosoft一社が提供している。
SONYはといえば、あまりにもソフトウェアを軽視しすぎだろう。VAIOのソフトもろくでもないし、SonicStageもConnectPlayerもろくでもない。
この辺は、もう散々言い尽くされてきたところであり、書籍としてもクリステンセンの「イノベーションへの解―利益ある成長に向けて」あたりで書かれているとおりである。この内容が再確認された事例でもあるだけに、なんだかよくわからない発言だった。
これらはデバイスの統合についてのみの話であって、そもそもiPhoneが革命的な点というのはここにはないと僕は思う。iPhoneが革命的なのは、その熱狂的な反応をもって、UIの重要性を決定づけた点ではないだろうか。別の言い方をすれば、密接な統合による圧倒的な利便性の提供というのは、デバイス同士にのみ当てはまるのではなく、デバイスと人間との統合にも当てはまるかもしれない、と皆が思い始めたことだ。携帯デバイスには、ユーザーの支持を得る方向性としてハックやカスタマイズの容易性いうものもあったのだが、iPhoneの登場は全く異なるベクトルを示してみせたのだ。
マクロな経済の話や政治の話なんかはわりと納得できるような話が多いなぁ、と思って楽しんで聞いているが、個別企業についてなどのミクロなコメント、特にテクノロジー企業についてのコメントはどうも的はずれなことを自信満々言っていることが多い。
さきほど1月12日放送分を聞いたが、今回はかなりひどかったように思う。
今回の放送で、伊藤氏はiPhoneについて熱く語っていて、以下の2点が革命的な点だと言っている。
- 音楽プレイヤーとしての機能も持っているが、あえてPhoneという名称を冠して売り出すことで、Apple(SteveJobs)が携帯電話業界に参入するという強いメッセージを打ち出している点
- iTunesの資産を持ち歩くことができる点
まず1点目の、Appleが統合対象とする製品を携帯電話やテレビにまでのばし始めたという点。これは、iPhoneの革命的な点ではなく、そもそもここで議論すべき内容かどうかも微妙ではある。それは置いておいたとしても、統合対象を広げていることが革命的なのであれば、SONYやMicrosoftはどうなるのだ?松下は?彼らはかなりの製品ラインナップをそろえているが、革命的なデバイスを出しているとは思われていない。
僕が思うに、(革命的かどうかはわからないが)重要なのは統合対象を増やしていることではなく、はじめて統合が受け入れられつつあることだろう。
僕はソニーエリクソンの携帯を持っているが、パーソナルデータを持ち歩くことも音楽を持ち歩くことも難しい…同期しつづけるとなると、ほとんど不可能だ。
WindowsMobile携帯では、OutlookやMediaPlayerのデータをストレスなく持ち歩けるだろうか?少しはマシだろうが、挿すだけで自動的にシンクはしないし、日常的に同期するとなるとやはり面倒が多い。
そもそも、僕にとってはWindowsMediaPlayerやSonicStage、ConnectPlayerでデータを管理すること自体がストレスフルだ。音楽配信サービスを利用する場合も、クライアントソフトウェアとうまく統合されたものはない。
反面、AppleにはiTunesという使いやすいデータ管理・同期用ソフトウェアが存在する。そして何より重要なのは、iTunesとiPod、iTunesStoreがお互いの存在を前提に開発されていることだ。iPodとはiTunesが管理するデータをそのまま外に持ち出せるデバイスであり、これを実現するためにiTunesも最大限の配慮をしている。また、音楽・動画配信サービスであるiTunesStoreもiTunesからの利用を前提に作られている。コンテンツ配信サービス⇔クライアントソフトウェア⇔ポータブルデバイスが可能な限り統合されているわけだ。これとまったく同じ状況が、今度はアドレスやブックマーク、予定などのパーソナルデータにももたらされるのだ。さらに、AppleTVではiTunesが管理するデータを大画面化がすすむテレビでも利用できるようになる。
結局、MicrosoftやSONYとAppleの違いは何なのか?これはもう、ずいぶん前から言い古されてきたことだが、それは決して伊藤氏が主張しているように「ソフトウェア中心だから」ではない。
ソフトウェア中心かハードウェア中心かという議論では、(SteveJobsもMacWorldのキーノート中でアラン・ケイの言葉を引用しつつ語っているが)重要なのはソフトウェア中心なことではなく、(今のところは)ソフトウェアとハードウェアの緊密な統合による圧倒的な利便性の提供だ。
統合のための手段として、密接な統合ではなく標準化を選んだ場合、多用なデバイスをサポートできる代わりに利便性が失われることになる。少なくとも初期は。時間が経てば標準化がサポートする範囲も広がり、標準化戦略が逆転する時期はくるだろうが、Microsoftはその時期を読み違えた。これは、WindowsがPCメーカーや周辺機器メーカーを巻き込んだエコシステムを構築し、競争によるハード価格下落とバリエーションの豊富さゆえにMacを蹴散らして大成功したという体験が頭の片隅から離れなかったせいだろう。
唯一例外的に成功しているのは、ゲーム機でありメディアサーバでもあるXBoxとビデオ配信サービスでもあるXBoxLive、テレビとの連携だ。これらは、サービス・ハードウェア・ソフトウェアのすべてをMicrosoft一社が提供している。
SONYはといえば、あまりにもソフトウェアを軽視しすぎだろう。VAIOのソフトもろくでもないし、SonicStageもConnectPlayerもろくでもない。
この辺は、もう散々言い尽くされてきたところであり、書籍としてもクリステンセンの「イノベーションへの解―利益ある成長に向けて」あたりで書かれているとおりである。この内容が再確認された事例でもあるだけに、なんだかよくわからない発言だった。
これらはデバイスの統合についてのみの話であって、そもそもiPhoneが革命的な点というのはここにはないと僕は思う。iPhoneが革命的なのは、その熱狂的な反応をもって、UIの重要性を決定づけた点ではないだろうか。別の言い方をすれば、密接な統合による圧倒的な利便性の提供というのは、デバイス同士にのみ当てはまるのではなく、デバイスと人間との統合にも当てはまるかもしれない、と皆が思い始めたことだ。携帯デバイスには、ユーザーの支持を得る方向性としてハックやカスタマイズの容易性いうものもあったのだが、iPhoneの登場は全く異なるベクトルを示してみせたのだ。
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