ウェブ人間論

 またしても、図書館から。これは、梅田氏のブログで刊行を知って予約、手元に届くまでに約1ヶ月半というところだろうか。ウェブ進化論は僕にとって「新しい事実を仕入れられた」本で、それはそれでおもしろかったんだけど、このウェブ人間論の方がおもしろい。平野氏という、僕とほぼ同世代の人間が梅田氏と対談することで見せる色んな面が、「新しい事実を仕入れる」以上のものを与えてくれた。

 そういえば平野氏は僕と同じ大学で、ほぼ同じ時期に大学にいて(といっても僕はほとんど大学に行かなかったが…)、賞を取った時には僕のまわりでもずいぶん騒がれていた。そりゃ単に、僕の友達に小説家志望がいたせいかもしれないけど。
…境遇が近いせいか、対談の中で出てくる梅田氏と平野氏の意見が対立するいくつかのテーマでは、どちらかというと平野氏にシンパシーを感じた。こんな感じで。

平野氏 >>自分>>>>>>梅田氏

 自分は一応(古い)IT業界にいるビジネスパーソンとして、小説家としての平野氏が持つ独特の重さからは少し離れた位置にいる。「情報を適度に扱って、うまくやっていければいい」というようなライトなスタンスの梅田氏に比べ、平野氏は「情報であふれたこの世の中で自分という人間もなにかしら新しいあるべき姿を追い求めなければならない」というような自省的とも言える態度が見え隠れしているように感じる。たぶんこれは、職業的なものに負うところが大きいんだろう。平野氏の作品は読んだことがなくて聞きかじりの知識しかないけど、比較的自分の人格を出すというか、「人格を使って情報を再構成する」ような作品の作り方をしている人のように思えるので。梅田氏はコンサルタントなので、そこまで全霊をかけて情報の編集メカニズムを人格にまで組み込む必要はないんだろう、たぶん。
 一方で、平野氏は、テクノロジによる社会の変化に関しては、梅田氏を遙かに超えた急進的な見通しを持っている。むしろ、そこまで考えた上で人はどう変わっていくべきなのか、自分はどう変わっていくべきなのかを模索しているよう。そう、全体的にみて、梅田氏は「他人事」として語り、平野氏は(もしかしたら必要以上に)「当事者」として語っている。

 平野氏が、テクノロジがもたらす社会的な変化について、急進的な意見を持っているかと思えば妙に保守的であったりするのは、自らが小説家という既存メディアに属している人間であるということと、若者として社会の変化を受け入れる姿勢が入り交じっているせいなんじゃなかろうか。正直なところ、小説をソフトウェアに変えれば、ほとんど同じ感覚を自分も持っている、と気づいた。梅田氏のこの、悟りにも似た軽さは結構うらやましいなぁ。

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